覚醒せよ、わが身体。(②レールのないジェットコースター編)
”覚醒せよ、わが身体。” の第一章ではトライアスロンに取り組むにあたっての課題、困難、高揚感、達成感などについて書かれています。
平たく言うと、色んな人たちによるトライアスロンのここが面白い、です。
(参考:トライアスロンのここが面白い)
猛者たちのインタビューがふんだんに載っており、
「分かる!分かる!言葉にしてくれてありがとう!」
のような超共感なことから、
「それはさすがについて行けないわ。。」
のような猛者ならではの哲学まで、
トライアスロンについてくる感情がどんなものか、
トライアスリートは何に突き動かされているのか、
を感じ取ることができます。
体育会系部活動経験者には興奮する内容ですが、未経験者にとっては宇宙人に見えるかもしれません。
引っかかった言葉たちを紹介します。
- レールのないジェットコースター
- 強い相互承認と希少性ある仲間意識
- ランニングの社会的伝染性
1. レールのないジェットコースター
旅行が楽しいのは、非日常感を味わえるから、という要素がありますが、
トライアスロンのレースはまさに非日常です。
普段行かない場所であることに加え、自然環境の中で身体を酷使します。
これが日常だという人はイモトさんくらいしかいないのではないでしょうか。
その非日常感を本書ではこのように表現しています。
特殊な閉鎖空間がロールプレイングゲームの如く次々と登場し、日常から遠く離れた異世界へと入り込ませてゆく仕掛けが幾重にも続く。ウェットスーツや高額なバイクなどの特殊装備は、喩えるならば、近年盛り上がりを見せる十月末の「ハロウィン」の仮装にリアルお化け屋敷とレールのないジェットコースターまで伴った、安全制御の不十分な遊園地のようなものだ。
覚醒せよ、わが身体。より
こんな遊園地絶対行きたくないですね。
しかしこの表現はトライアスロンに臨むテンションを的確に表しています。
このテンションは危険要素があるからではなく、自分で揃えた装備と共に新しいダンジョンに挑むワクワク感があるからです。
毎日パソコンと向き合い業務に挑むのと、
ブーメランといばらのムチを買ってレヌール城に挑むのと、
明らかに後者の心持ちに近いんです。
この非日常感は旅行の比ではありません(ころトラ調べ)。
思えば他のスポーツと比べても、トライアスロンの非日常感、冒険感は格別です。
まず、コースが同じではありません。
サッカーであれば105m×68mのコート
競泳であれば50mプール
この中でプレーをすることになるため、行動範囲は限定され、景色も一定です。
一方トライアスロンでは、海、川、畑、山、市街地と数々の景色を楽しむことができます。
さらに同じ大会に出ない限りは毎回違ったコースを味わえます。
この上なく非日常です。
次に装備が多岐にわたります。
これはトライアスロンの新規参入のハードルを高めている要因でもあります。
しかし、俺のウェットスーツ、俺のバイク、俺のランシューズ、と揃えていくにつれて、当然愛着が湧いてきます。
お気に入りのグッズと共にレースに臨むことによりカスタマイズ色が強くなり、自分ならではの冒険となります。
冒険後に「今日も頑張ったな、俺の相棒スコット」と話しかけてます、と言っても共感してくれるトライアスリートは多いはず(ですよね?)
トライアスロンのテンションは、ドラクエの新しいダンジョンであり、レールのないジェットコースターです。
2. 強い相互承認と希少性ある仲間意識
トライアスロンは個人競技ですが、人とのつながりが魅力であるといいます。
30代後半にトライアスロンを始めた頃は、ただ順位を争うことだけを目指していました。3年ほどで表彰台に上がれるようになりました。とても嬉しかったけど、一人で練習して、一人で大会に出かけ、一人で帰ってゆくことに寂しさを感じるようにもなりました。
次第に名前が知られるようになって、レース会場で声を掛けられるようになり、声を掛けられるのはこんなに嬉しいものなんだと気づきました。自分からも初めて会った人に声を掛けるようになって、レースごとに仲間が増えていく。そこに競技そのものと同じくらいの大きな幸福感を感じるようになりました。
覚醒せよ、わが身体。より
とある50代男性の進研ゼミのようなサクセスストーリーですが、そういうことです。
トライアスロンのひとつの楽しさは ”競争” にあります。
上位を狙う、自分のベストを更新する、あいつにだけは負けたくない
形は様々ですが、競争することはトライアスロン、そして全てのスポーツの醍醐味です。
実際、僕も年代別の順位を狙って競技に打ち込んだことにより、毎回のレースとその練習が楽しくて仕方ありませんでした。
そしてもうひとつの楽しさは ”つながり” にあります。
練習も個人が多く、レースも個人競技ではありますが、人とつながる瞬間がたまりません。
レース前日にカーボパーティーや宿でチームメイトと騒ぐとき
トランジションエリアで見かけたことのある選手と言葉を交わすとき
レース中に応援されるとき、応援するとき
最後にデッドヒートを繰り広げた選手と握手するとき
このほんの短い時間の幸福感は普段なかなか味わえません。
留学先で勉強にひいひい言っているときに、たまたま同じ日本人がいて、
「なんて奇遇な!あなたも日本を離れてこの国で頑張っているのですね。お互い頑張りましょう!」
と声を掛け合い、刺激を受け合う、のような状況に近いでしょうか。
留学したことないんですけどね。
同じ競技に打ち込み、類似したつらさを味わい、喜びを噛み締めれば、お互いを称え、絆を深めるのは自然なことです。
まるでひとつの宗教ですが、そういった深い共通点、共通目的が楽しいのです。
競技の極端さとマイナーさ故に、トライアスロンコミュニティの相互承認と仲間意識は特に強いと感じます。
「びわイチ行ってきました」
「さすがです!僕も今度挑戦しようと思ってます!」
のようなやり取りがすぐ起こります。
他のスポーツだと再現しにくいですよね。
3. ランニングの社会的伝染性
フェイスブックやインスタグラムなどSNSは、トレーニング量には影響を与えるようです。
SNSがトレーニングに及ぼす影響力については、海外では量的調査も行われている。SNS上の世界約100万人への5年間にわたるランナー走行データ分析によれば、SNSでフォローしている友人が普段より1キロ長い距離を走ると、本人が走る距離も0.3km伸び、また友人の走るスピードが時速1km分速くなると本人も0.3km速くなったと推定された。この影響は、男性、特にその相手が男性の場合に顕著だった。
覚醒せよ、わが身体。より
つまり、誰かが走ると、その影響でまた誰かが走るという伝染が起こるということです。
走り始めるまで、走っている間に、
「自分もたまには身体動かそう!」
「あいつがこの距離走っているなら俺だって、、」
と刺激を受けたり対抗心を燃やしていることは容易に想像できます。
実際、誰かが六甲山バイクで登りました、とアップしたのを見て、帰り道に家までダッシュしてしまったことがあります。
確実に運動意欲が伝染していました。
この伝染の理論からすると、運動を発信すれば、世の中に運動する人が増えるということになります。
世の中に運動を増やすために積極的な発信を心掛けていきたいと思います。
それから、伝染の傾向は男性に顕著ということでした。
これは狩猟本能から、周りと張り合うことが好きだからと思われます。
先天的に競うことが好き。
納得です。
そこでふと疑問に思ったことが、女性アスリートの原動力です。
男性特有の狩猟本能がない(薄い)とすると、女性アスリートを競技に駆り立てるものは何でしょうか。
相手に勝つ、自分にも勝つ、という競争心よりも、仲間との絆のところにより強い魅力を感じているのかもしれません。
今度身の回りの女性アスリートたちに聞いてみることにします。
(本能レベルで競い合いを好まないのであれば、どこに魅力を感じているのだろうかという生物学的観点の純粋な疑問です。決して男女の差別的な話をしたい訳ではないので誤解なきよう)
まとめ
書評というよりも、キーワードに反応して勝手に盛り上がるような内容になってしまいました。
この本には自分がトライアスロンに対して漠然と感じていたことが、腑に落ちるような言語化をされている箇所が多々あります。
「なるほど!」の連続です。
まだまだ気になるポイントありますので紹介していきます。